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馬鹿のこと

底辺の人。学がない。職能もない。そんな人間の言葉は、WEBの「邪魔な情報」か。誰の目にも止まらなければ、荒らしにはならないのか

当ブログについて

 こんにちは。もしこのページにアクセスされた方がいらっしゃいましたら。初めてブログの記事を投稿します、泥というものです。

 

 このブログは、“日常の備忘録”として使用したいと考えています。

 たまに読んだ本、たまに観た映画、おっと気になったニュースについて、あれこれと所感を書けたらいいなと思っています。

 

 投稿の内容は、馬鹿なりに考えた、ぼんやりとした意見です。

 私は何らかの専門家ではないので、何らかの専門的な視座は含まれません。

 


 少し自己紹介をします。いきなり、ネガティブな言葉ばかりを並べるのには気が引けますが、私は優れた人間ではありません。学もなければ、社会人としてのスキルもなく、教養や地位も持っていません。更に言えば、趣味・特技すらこれといってない。以上の文章を見てわかる通り、母語である日本語の文法や語彙すら正しく扱えません。


 端的に言えば、私は中身が空っぽな人間です。当然、私がアウトプットした/するであろうエントリーにも、これといった蘊蓄は蓄えられていないことと思います。そうと認めるのは、自分でも流石に悲しい気持ちになるので、馬鹿なりに勉強は続けますが、それでも現状、中身は空っぽなのだと思います。

 

 そんな私ですが、ある日ふと疑問に思うことがありました。仮に、私がブログ記事を投稿したとする。投稿されたのは、中身が空っぽのエントリーになります。おそらくユニークアクセスがほとんどない、誰の目にも止まらない記事。無意義な情報です。そんな馬鹿げた情報の存在とは一体?一体、これはなんなのだろう、ということが、私にはわからなくなった。投稿する行為、投稿されたもの、その意義なき意義を見出せない。

 こんな馬鹿げた情報の存在とは一体?
 もちろん、存在という言葉を使ってはいますが、哲学の話ではありません。哲学なんて私は知りません。価値のある情報とは一体どんな形をしているのだろうなあ、という興味と憧れから、ぽっと生まれただけの疑問かもしれません。実際にこうして投稿する動機は、自己顕示欲か、悲しいという感情の発露かも。


 馬鹿は馬鹿なりに一生懸命、物事を考え、アウトプットしたのだとしても、信頼性の低い情報として処理され、誰かの心に届くこともない。底辺の人。学がない。職能もない。そんな人間の言葉は、WEBの「邪魔な情報」か。誰の目にもとまらなければ、荒らしにはならないのか。私の頭に浮かんだのは、そういった疑問です。取るにならない偏執的な空想です。
 誰かの目にとまらずとも、このエントリーが荒らしとなるなら。哲学を知らない私が存在という言葉を使っても、それは哲学の一部にならないのか。
 馬鹿の上にも、林檎は落下するんでしょうか。

 本当に、学がないので、わからないのです。

 

 このブログは、空想を下敷きにした“日常の備忘録”になります。また、書けたら。